先日、映画『リズと青い鳥』を見てきました。
京都アニメーション制作。
TVシリーズ『響け!ユーフォニアム』でシリーズ演出を務めていた山田尚子監督作品。
私はTVシリーズが好きで見てましたけど(原作は未読)、今作はキャラクターデザインはじめ、作品の方向性やコンセプトなどTVシリーズとはガラッと趣を変えてきており、山田監督の独自色が非常に強い映画になっていました。
タイトルに『響け!ユーフォニアム』の冠が付いていないのも、独立した映画として作られているという意識の表れなんでしょうかね。
TVシリーズがストレートなエンタメ作品だったのに対し、今作では二人の少女の密やかな関係性・心の機微を、抑制された客観的視点で淡々と描きつつ、寓話的物語のパートを組み込むことでかなり抽象性・文学性の高い作品になっていると思いました。
(作品のムードが美しすぎて、スポコン的な部活物の雰囲気はまるで感じられない・・・)。
山田監督の演出の特徴として、登場人物の心情をセリフではなくちょっとした仕草や表情、風景描写などで間接的に表現することが多いですが、今作ではその技法がさらに高度に洗練されたものとなっており、
二人の少女の関係性・心の機微を描くことが、視線の落とし方やかすかな息遣い、歩き方や靴音、手や足の動きや組み方、キャラクターの位置関係や身体の距離感、構図、フルートとオーボエのソロの掛け合い、劇伴や物音、キャラクターの声のトーンなど、記号的ではない非言語的要素の組み合わせとして表現されているようです。
(人の心の機微を映像で表現するという点で、山田監督はもはや独自の領域を極めつつあるのではないか、と思うぐらい特徴的なものになっていました)。
説明的ではない(記号的ではない)登場人物の心の動き(二人の関係性の変化の過程)が映像・音そのほか非言語的に表現されているので、見ている方もそれなりの理解力が要求される作品でした・・・。
「閉じ込められている」イメージ
▲フグに「希美」とか名前つけてそう
作品に通底するものとして「閉じ込められている」「束縛されている」「捉われている」というイメージがあり、
そこから「解放されていく」というのが一つの流れになっているのかなという印象を受けました。
「希美」と「みぞれ」という二人の主人公ですが、その二人がそれぞれ「何に」閉じ込められ、束縛され、捉われているのか、そしてそこからどのように「解放されるのか」というあたりが、一つのテーマになっているのかなという感じ。
作品の構成や舞台設定もしくは登場人物のセリフなどでも、「鳥かご」とか「水槽」の中に閉じ込められているというイメージがあって、そこから出ていくという流れのようなものを感じました。
作品の構成も独特のものがあって、
ある夏の日の朝、早朝練習で希美とみぞれが校門から学校の中に入るシーンから映画が始まり、
ラストシーンで放課後、また二人で学校の校門を出ていく場面で映画が終わります。
この始まりと終わりのシーン(学校に入り・出ていく)が対のようになっていて、その前と後で二人の「関係性」の変化が示されているように思いました。
その対になった場面に挟まれるように、映画のほぼすべての場面が「学校の中」(もっと正確にいうと「校舎の中」)だけで描かれています。
(大体のイメージでいうと、作品の95%ぐらいの時間は学校の中に閉じ込められている印象)。
(1~2か月の期間を描いているにもかかわらず、ずっと学校の中のシーンしか映らないため、まるで長い夏の一日でもあったかのような奇妙な雰囲気)。
愛して欲しい、振り向いて欲しい、認めて欲しい、自分だけのものでいて欲しい。
欲望は空へ羽ばたく翼にもなりますが、自分や誰かを閉じ込める鳥かごにもなります。
これは、自分を解き放つ少女の物語です。
そしてまた、自分には翼がないことを知る少女の物語でもあります。
でもその両者が出会ったことは、決して不幸なことではありません。
山田監督の感性が自由に羽ばたき、美しくもはかない、どこか残酷な物語を高い空に描く様を見上げていただければと思います。
上で引用したのは、公式サイトの脚本の吉田玲子さんのコメント。
つまり、誰かを愛することが「束縛すること」になることもあり、そこから「解放」(する・される)というのが、作品の基本的なテーマになっているのかなと思います。
どっちが「リズ」でどっちが「青い鳥」なのか?
この作品のストーリー上のキーポイントになるのが、希美とみぞれ、どちらがリズでどちらが青い鳥なのか? というのがあると思います。
ストーリー的には、内気で希美に依存している「みぞれ」が「リズ」で、明るく活発な「希美」が「青い鳥」という関係性から物語が始まります。
映画が始まると、ほとんど会話もなく音楽室に向かう二人の姿をカメラが淡々と映し出していますが、この音楽室に向かうまでの描写の中にも、二人の少女の性格の違いや関係性を示す要素がちりばめられていました。
端的には、ずんずん前を歩いて行く希美の後をとぼとぼ付いて行くみぞれとか、階段の上から見下ろして待っていてくれる希美を下から見上げるみぞれとか、「前と後ろ」「上と下」というような位置関係で二人の関係性がまず提示されているようでした。
それから音楽室で二人で練習を始めるのですが、コンクールの自由曲である『リズと青い鳥』の物語について、希美はみぞれに「この二人私たちみたいだね」と言っていました。
『リズと青い鳥』とは、元々童話で、一人ぼっちの少女「リズ」の元に「青い鳥」が少女の姿で現れるという話。
映画ではあまり出てこなかったのですが、二人が高1の時、大量退部事件というのがあって、希美がみぞれに何も言わずいきなり吹奏楽部を退部して、みぞれはショックを受けたことがあり(しばらくトラウマになっていた)、今回の映画でも、希美が自分の前から再びいなくなることをみぞれが恐れているシーンが何度も出てきます。
また、そもそもの二人の出会いは、中1のとき極度に内気で一人ぼっちだったみぞれに、希美が声をかけ一緒に吹奏楽部に入った時から始まっています。
この時の出会いが、ことのほか強くみぞれの心に焼き付いており、それ以降、「希美が自分の世界の全て」というほどの希美への強く一途な愛情を抱いています。
一人ぼっちだった少女(みぞれ=リズ)の元に、青い鳥の少女(=希美)がやってくる。
みぞれ視点では出会った時から希美は自分の「青い鳥」であり、多分それはこれからもずっと変わらないのではないかと思います。
この作品の関係性の「変化」とは、みぞれより希美の方がより大きなものだったように思いました。
(みぞれはブレてないというか実はあまり変わってないのかもしれない)。
この作品は自分のことを青い鳥だと思っていた希美が、みぞれのことを青い鳥だと思う(認める)ようになるまでの話だったのかな、 と思いました。
一応、映画としては音楽の才能がある(=翼がある)みぞれが青い鳥だったというストーリーになっているように見えるのですが、
見終わった後考えてみると、これは結局どっちがどっちというわけではなく、
希美もみぞれもどちらも「リズ」で、相手の存在が「青い鳥」だった、ということなのかなと思いました。
(ケースバイケースで役割が変わったりするのかもしれない)。
負けず嫌いで情念が濃いようなところがある希美は大好きな音楽で、自分には翼が無い(=みぞれと対等ではいられない)ということをなかなか認めることができなかったのではないか・・・、という感じ。(そのことからずっと目をそらしてきた)。
わだかまり?
2人は「親友」という事になっているのですが、映画を見ていると、本当に「親友なのか?」という印象を受けてしまいますね。
冒頭の早朝練習で、2人で練習を始めた時、ふとみぞれは希美に「うれしい・・・」とつぶやいていました。
何が「うれしい」のか、と考えると、普通に考えたら「希美と一緒にいるのがうれしい」ということでしょうね。
童話パートの青い鳥の少女は感情表現が豊かで、リズと一緒にいるのが「うれしい」と、言葉や態度、全身で表現していました。(みぞれは小さい声で希美にそっとつぶやく)。
それに対して、「私もこの曲が自由曲に選ばれて嬉しいよ」と、希美は全然別のことを話し出しました。(噛みあわない)。
希美といえばコミュ力が高くて、女子の人気者ですからね。
「一緒にいられてうれしい」とか、それぐらい分かるんじゃないかと思うんですけどね。
その後、となりに座って一緒に絵本を見るシーンで、肩に髪がかかるぐらいみぞれが希美に身体を寄せると、スッと逃げるように希美はみぞれから離れて行ったりします。
あと他にも、後輩たちが「大好きのハグ」(相手の好きなところを言いながらハグするゲーム)をやっているのを見かけて、
「私たちもやろうか」と言って希美がみぞれに向かって両腕を広げるシーンがあるのですが、
そう言われて驚いたみぞれは、一瞬反応の間が空くのですが、ためらいつつもすぐその気になってハグしようと手を伸ばしかけると、
「ごめんね嫌だった?」と言って、希美は広げていた腕を下してしまったりします。
何というか、小悪魔系女子が真面目系男子を翻弄してもてあそんでいる、ように見えなくもない。
「ハグしようか?」「やっぱりやめた」みたいなやり取りで振り回されもんもんとさせられているように見えなくもない。
これはもしかしてわざとやっているんでしょうか?
(束縛しようとしている?)
(極度に繊細な人と、大ざっぱなタイプだからある程度かみ合わないのは仕方がないかもしれませんが・・・)。
希美は明るくて活発で、ぱっと見た感じはさっぱりした性格のように見えるのですが、なんか「情念が濃い」ような雰囲気もあるような・・・
プールに行こうかという話をしているとき、みぞれが「後輩の女の子も誘っていい?」と言った時の希美の驚いた表情とか。(みぞれが自分以外の人間に興味を向けていることに動揺している?)
あと、さっぱりしているようで、実は希美はかなり負けず嫌いで意地っ張りなのかもしれないと思ったり。
みぞれが外部指導員の新山先生から音大への進学を勧められたことを知ってからは、希美のみぞれへの態度が固くなり、よそよそしく接するようになってしまいました。
(新山先生は希美には音大進学を勧めてくれなかった)。
からっとしているようで、希美は情念が濃いようなところもあるし、実は内心、無意識レベル(?)でみぞれにコンプレックスを感じていて、友達として付き合いつつかなり以前から羨望・嫉妬の念を抱いていた・・・ということなんでしょうかね・・・。(=だからみぞれとの関係から目をそらして、向き合おうとしなかった?)
関係性の変化
「誰しも感じたことがある羨望と絶望。
そしてそれらを包み込む、愛。」
↑上で引用したのは映画の宣伝コピー(?)の一文ですが、この辺りが映画終盤の二人の関係性の着地点になっていたのかなと思いました。
(ラストシーンでさらに今後の関係性の変化を示唆するような瞬間を見せて映画は終わるのですが)。
ネット上のこの作品の感想やコメントをいくつか見ていると、この作品の結末として「依存体質の女の子」(=みぞれ)が「希美」から自立する話、というニュアンスのとらえ方をしている人が割と多いような印象でした。
(TVシリーズのイメージだとそういう印象が強くなるかも・・・)。
もちろんそういう面もあると思うのですが、自分的にはどちらかというとこの映画は「希美が解放される」話になっていたのかなという印象を受けました。(解放されたことでみぞれに向き合うことができるようになった?)。
外部指導員の新山先生に才能を認められていたみぞれは音楽大学のパンフレットをもらいました。
みぞれが新山先生に音大進学を勧められたことを知って、急に自分も「音大を受けようかな」と言い出す希美。
このようなところでも、希美が負けず嫌いの性格で、みぞれにコンプレックスを持っており、みぞれ(音楽)への執着が強いような印象を受けますね。
みぞれだけ音大進学を新山先生に勧められたことで、第三者に希美とみぞれの「才能」の違いを突き付けられた形。
童話パートでリズは青い鳥の少女に、「待って!側にいて!ずっとずっと、側にいて!」と言っていました。
これが、リズの青い鳥への執着心であり、それが鳥かごに閉じ込めるということを意味するのでしょう。
上の画像は、みぞれの本気の演奏を聴いて圧倒され涙を流した後、生物室に一人でいる時の希美の表情。
みぞれの本気の演奏を聴いて悔しいとか怒っているというより、なにか憑き物が落ちたような、何かから解放されたようなさっぱりした表情に見えますね。
(もしくは自分の青い鳥と初めて出会ったような表情?)。
なんとなく、素顔というか素の表情という感じ。
そもそも、希美の演奏のレベルが低いからみぞれが鳥かごに閉じ込められていたというより(多分みぞれはそんな風には思っていない)、むしろ、みぞれの才能が大きくなり、自分との差を感じるにつれて鳥かごに閉じ込められていったのは希美の方だったのではないか?という感じがするんですよね。(両方の意味があるのかなと思いますけど)。
最後のハグのシーンはこの映画で最も印象的なシーンですが、
希美の好きなところをいくつも上げて希美の「全て」が好きというみぞれ。
(希美のフルートが好きとは言わなかった)。
それに対し、希美はみぞれの「オーボエが好き」とだけしかいいませんでした。
これは両者がそれぞれ相手に対して執着しているものを指しているのでしょう。
だから音楽の才能を解放してあげることが希美にとっては「青い鳥=みぞれ」を解放してあげることになるんだろうし、
みぞれにとっては、解放してあげたのは「希美の全て」つまり、今の閉じ込められている希美自身を鳥かごから解放してあげるという意味になるのかなと思いました。
これまで、みぞれが希美のレベルに合わせて演奏していたのは、希美を自分のそばに留めておくためであって、(本気の演奏をみせるということはそれを壊すことにもなる?)リズであるみぞれが青い鳥を解放するために鳥かごを開けた(=本気の演奏をみせた)、という見方もできるのかな、と思いました。(←こじつけっぽい?)
ハッピーエンド
みぞれにとっては中1の時、希美が話しかけてくれて吹奏楽部に誘ってくれたことが凄くうれしかったみたいなのですが、希美は「ごめんそれよく覚えてないんだよね」と言っていました。
自分から吹奏楽部に誘ったんだからそれぐらい覚えていればいいのに、と思いましたけど。まあ、ぱっと忘れてしまうぐらい希美はフットワークが軽いというか、気さくで気分の切り替えが早い人だったんでしょうかね。
でも内向タイプのみぞれにとってはその時の印象がとても大切な物として残っており、「希美が自分の世界の全て」と思うぐらい、希美に対して強い愛情を抱くようになったようです。
「世界の全て」というのも極端な感じがしますが、今回の映画の回想シーンで二人の出会いのシーンが少し出てくるのですが、希美に話しかけられたみぞれがすごく震えていて、ちょっと生まれたての雛鳥みたいなイメージもあるのかなと思いました(雛鳥の刷り込みのような?)。
原作は読んでないし、中学の頃の二人の関係がどうだったかとかよく分かりませんけど、希美にとってみぞれは、自分に懐いて後ろを付いてくる雛鳥(庇護の対象)みたいな存在だったのかも。
それが音楽をやっているうちに、みぞれがどんどん成長し、自分が追い抜かれ、自分にはみぞれのような翼が無いことをうすうす意識するようになっていった。
高1の大量退部事件の時もみぞれに何も言わず辞めたのはかなり不自然なので、その頃にはもう、みぞれに羨望の念を抱くようになっていた? のかもしれないですね。
みぞれに対して友達として「好き」という気持ちがありつつ、負けず嫌いが強すぎて、いつしかみぞれをちゃんと見ようとしなくなった・向き合えなくなっていたのかなという印象。(みぞれという人間の音楽の部分に執着し、それ以外のことをほとんど見ていなかった)。
それが今回のことで、音楽(みぞれ)への執着から解放され、今後は、みぞれと向き合っていけそうな雰囲気を感じました。
大好きのハグのシーンでは、「希美の全てが好き」と言って、全てを包み込むようにハグしてくれたみぞれに、希美はまだ素直になれないようでしたが。
その後廊下を一人で歩きながら、ふいに初めて話しかけた時の震えていたみぞれのことを思い出したり。
そういえば、映画の初めの方で落ちていた青い羽根を希美が拾ってみぞれにあげるシーンがありましたが、みぞれにとっては音楽に誘ってくれた希美が、自分に空を飛ぶ羽を与えてくれた存在だった、という意味もあったんでしょうかね。
ラストシーンで、学校から出て、二人で帰る場面で、希美はみぞれに「もう少し待ってて」「みぞれのソロを支えられるようになるからさ」と言っていました。
そして、「本番がんばろうね」と、二人の声が同時に揃った時(一致した時)、
みぞれはすかさず「ハッピーアイスクリーム!」と言っていました。
(話してて同じ言葉が被ったら、先に「ハッピーアイスクリーム」と言った方がアイスをおごってもらえるゲーム)。
「なに、みぞれアイスが食べたいの?」と、答える希美。
また、会話が噛みあわないのか・・・と思いきや、
後ろを歩いているみぞれに振り返って(向き合って)、みぞれに何かを話す希美。
思いがけず驚いたような、それでいてうれしそうな表情をみぞれが浮かべた瞬間、映画は終わりました。
最後に希美が何を言ったのか、それがどんな意味があるのかなど、受け手によってどのように解釈するかは様々だと思いますが、自分としては、これはやっぱりハッピーエンドだったのかな、と思いました。
この後、吹奏楽コンクールの本番があって、それが終われば受験・卒業で、二人の高校生活も終わってしまいます。
また、進学先も音大と一般大学と別れてしまうので、今までみたいにいつも一緒というわけにもいかなくなるだろうし。
映画を見た印象だと、この後のそれぞれの道を進んでいく「別れ」のような予感・印象も強いのですが・・・
これまでずっと、希美の後を付いて行くだけの(依存的な)みぞれでしたが、今回のことで、二人の関係性に変化が訪れ、むしろ「対等」の関係に近づけたのではないかと。後ろを付いて行く関係ではなく、横を並んで歩いて行くためのきっかけだったのではないか、という感じに自分は受け取りました。(痛みを伴う成長というか)。
自分としては、これからまた改めて二人の新しい関係が始まりそうな、前向きなハッピーエンドのような印象を持ちました。
色々な解釈の仕方ができる作品で、これが答えだ、みたいなものは無いのだと思うのですが、一応自分なりにあれこれ考えて、感想を書いてみました。
(これほど見方によって作品から受ける印象が変化する作品も珍しいのでは!?)。
色々長々と勝手な(妄想混じりの)感想を書いてしまいましたが、
非常に美しく、静かなのにそれでいて圧倒されたり、実に素晴らしい映画でした。
時間がたっても古びることのないであろう青春映画の傑作だと思います。
山田監督はじめ制作スタッフの方々に対して心の中で思わず脱帽という感じ。
原作は読んでいないので、この後の展開は分からないのですが、
本番のコンクールで、またこの二人のソロの掛け合いのシーンとかもあるんでしょうかね。
石原監督による続編の新作映画も楽しみです。
ありがとうございました。